独居老人の孤独死
独居老人の孤独死が問題になっています。どのような人生を歩んできた人でも社会に貢献してきたわけです。税金を納め国家の礎になってきました。しかし、政府はこのような孤独死をする老人に何一つ手立てがないのでしょうか。少年のころ親と長野の方に旅行したときに姥捨て山の話がある地区に立ち寄りました。ある一定の年になると山の中に捨てられる老人の話です。これと同じことが現代社会の中で生まれているのです。首都圏に集中する人口が地方の過疎を生み、転勤で地方へ行く人の親が都会に残されていく我が国の社会が全て姥捨て山であるといっても過言ではなくなる時代が来ます。社会の仕組みや政治の手当てが求められるときではないでしょうか。養老院の療養ベッド削減され養老院の数は一向に増加しません。ただ民間の高額な老人ホームはたくさん立っています。現実に何千満円物金額が出せる人は少ない時代です。少なくとも養老院で同じ境遇にいる人たちが生活できる場所の確保は必要なことでしょう。人はいつか死を迎えます。そのとき遠く離れた子供が駆けつけるまでになくなっても一緒に暮らした人に看取られて死ぬのであればまだ幸せです。孤独死を無くすことも重要な政策の一つでしょう。将来の問題を若者も現実の者として受け止めているからこそ政治に不安を抱いているように思います。若者が将来を見通せる社会形成こそ今必要とされているのではないでしょうか。チャレンジに失敗しても政府は国民の生活を守るということが理解できればチャレンジする気持ちにもなります。失敗したら起き上がれない社会が続いてきています。我が国においてチャレンジ失敗は再起不能に近い情況です。よほどのことがない限り起き上がれません。セイフティーネットとはこのようなことではないでしょうか。最後のチャレンジに失敗しても充分な生活が送れ孤独死もない社会ではないでしょうか。
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